霊力がすさまじすぎて移転を繰り返した、身延山の上ノ山八幡社
皆さまこんにちは。身延在住のゆる身延です。今回は、霊験あらたかといわれる上ノ山八幡社(うえのやまはちまんしゃ)についてご紹介します。
八幡社への登り口は久遠寺本堂の裏側、前回ご紹介した本地堂と甲比丹ゼイムスの墓からすぐの場所にあります。久遠寺境内から上ノ山への道を上って5分ちょっとですが、小さな案内板と南無妙法蓮華経の旗が立っている他、参道からはお社の姿が見えないので、そのまま通り過ぎてしまう方も多いかと思います。
(下の写真の、左側へと登る階段が入り口です)
■上ノ山八幡社への入り口
参道から続く100段程の階段を上った先に見えてくる境内は、静寂に包まれています。木々に囲まれひっそりと建つ八幡社の姿には神気のようなものが漂っており、自然と身が引き締まります。拝殿は豪華とは言えない質素なものですが、上ノ山の雰囲気と調和しています。
■上ノ山八幡社に続く階段
その奥、覆屋で保護され、普段は目にすることが出来ない本殿は、慶長3年(1598)の再建と推定され、身延山の中でも最古級の建物で、山梨県指定文化財となっています。本殿は二間社、入母屋造、柿葺で、向拝には軒唐破風がついている美しい造りです。
■上ノ山八幡社の境内
御祀神には木造の天照大神、鋳造の八幡大菩薩を勧請していて、これは、日蓮聖人が天照大神と八幡大菩薩を法華経を守護する神様の代表的なものとして重要視している為といえます。八幡神は神仏習合により仏教と深く結びついてきた歴史があり八幡大菩薩とも称され、仏教の不殺生に基づく儀式の「放生会(ほうじょうえ)」もその名残といわれています。
身延山内に曼荼羅ではなくひとつのお社を持つ像として天照大神が祀られているのはこの八幡社だけで、しかも1500年代に造られたという御像は珍しい僧形をしています。天照大神は一般的には女性の神様ですが、中世には男性の姿をしているとされた時期もり、仏教界ではこのように僧侶の形をしているものも中にはあるようです。
天照大神は国土安泰、五穀豊穣、招福、開運などの御利益があるといわれています。また、八幡神は鎌倉時代源氏の氏神になったことから武神として全国に広まったそうですが、現代では交通安全や健康など所願成就の神様として信仰されています。御像は保護の為に久遠寺の宝蔵に納められていますが、御霊は変わらず八幡社にあることでしょう。
霊力がすさまじすぎて移転を繰り返した上ノ山八幡社の歴史
■上ノ山八幡社
八幡社はもとは波木井家の鎮守として波木井公の居館近くに祀られていたものを、身延山28世日奠上人の時代(1601~1667)にこの場所に移転させたものと言われています。波木井家といえば、日蓮聖人を身延山にお招きした波木井(南部)実長公のお家の事で、後に八戸南部氏の元となった家柄です。
八幡社は霊験があらたかな一方、その霊力がすさまじく、八幡社の前で不敬、不浄、不埒を働く者、下馬せずに通り過ぎる者、神域の木々や枝葉を持ち帰ろうとする者には罰が下ったといわれています。その為、町の人々から恐れられるようになり場所を二転三転し、身延山に預けられて現在に至るそうです。
身延山に場所を移されてからは、八幡様は心穏やかに棲まうことが出来たのか、記録上では恐ろしい話は残されていません。鎮守として崇めていた波木井公はもとより、日蓮聖人、久遠寺歴代法主もこの八幡社を大切にし、現在も身延山総門内門前町の人々には産土神として崇められ、毎年9月14~15日にかけてはお祭りが行われています。
久遠寺境内から僅か10分ほど。今もなお神気を発する霊験あらたかな上ノ山八幡社には、ここぞという願掛けがあるときにも是非足を運んでいただきたいと思います。そのかわり、境内での不埒な行為は慎み、願いが叶った際の御礼参りなどはお忘れになりませんように!
もともと上ノ山八幡社があった円実寺
なお、身延山の門外になりますが、久遠寺から車で10分程の場所に波木井公の居城跡であり、もともとこの付近に八幡社があったといわれている波木井山円実寺があります。
■波木井山円実寺
国道52号線の身延町総合文化会館を甲府方面に橋梁を上っていくと、左手に見える大きなお寺が円実寺です。小高い境内からの眺めはとても美しく、境内に建つ日蓮聖人の御像越しにいつまでも眺めていたい気分になります。
■波木井山円実寺の境内から
日蓮聖人が身延山に入られる際に最初に立ち寄られたのが波木井公のお屋敷でした。このため現代に至るまで久遠寺の住職となる方は、久遠寺法主の法灯を継承する儀式のひとつとして、身延山に入る前にこの波木井山円実寺に立ち寄ることが慣わしになっています。
久遠寺から少し離れますが、こちらも立ち寄っていただきたい大切な場所です。