身延山への裏参道、日蓮聖人が歩かれた杉山のディープスポット!
身延山への道に繋がる国道52号線から総門をくぐって門内へ入るルートの他に、身延山に入るもうひとつの道があります。それが県道805号線です。
地元の方には「杉山」と呼ばれているこの道は、駿州往還として日蓮聖人が歩かれたことがほぼ確実にわかっている数少ない道です。点在する史跡にも、その歴史の足跡を残しています。
そこで今回はこの杉山の見どころを、紹介いたします。
日蓮聖人が歩かれた、杉山の名所案内
地図やナビ上に出てくる国道52号線の境宮神社の分岐(実際には神社は道路から見えません)から山に上る形で杉山に入り、最初に見えてくる祠は「産宮神」、通称「さんごじさん」です。祠の周りには底の抜けた柄杓がたくさん奉納されていますが、その光景に足を止められる方もいる安産の神様です。
■安産の神様・産宮神(さんごじさん)
昔、この辺りに住んでいた若い女性が大変な難産で苦しんでいたところ、通りかかった旅の僧侶が柄杓を用意させ、お経を唱えて底を抜くと元気な男の子が生まれたそうです。この言い伝えから安産を祈って県内外から柄杓を奉納しに訪れる人が後を絶たず、最近でも難産で苦しんでいた娘さんの為にお父さまが底を抜いた柄杓を奉納したところ、元気な赤ちゃんが生まれたという喜びの話を聞きました。
この産宮神さんからカーブをひとつ上がったあたりに、休憩スペースがあります。ここから見る景色はとても美しく、春になるとすぐ近くの円崎工業さんの周辺にも桃や桜の花が咲いて綺麗です。
■円崎工業周辺
産宮神さんから道なりに車を走らせると、次に見えてくるお堂が「姥清水」です。
■姥清水
日蓮聖人がこの辺りで喉の渇きを覚え、近くに住んでいた姥に水を所望したところ、姥は水を汲みに険しい沢へ下りていきました。その姿を見て日蓮聖人は大変感謝されるとともに、この場所に湧水があればどれだけ良いことだろうと、杉の杖を地面に突き立てます。すると根元から水が湧き出し、やがて杖は根付いて杉の木となったという伝説が残っています。
今もこの地からはこんこんと水が湧き出しており、小さなお堂には日蓮聖人の御像が祀られています。
杉山は「南天の里」としても知られますが、甲州盆唄に唄われる「身延の者は 声がよい 良いはずだ 南天山の水を飲む」とは、この水のことではないかといわれています(山の水なので飲まれる際はご自身の判断でお願い致します)。初夏には紫陽花がとても綺麗で、私のお気に入りのひとつでもあります。
さらに道なりにしばらく車を走らせると、今度は古びたお寺が見えてきます。こちらは日蓮聖人ゆかりの言い伝えが残る朝日祖師堂です。
■朝日祖師堂
日蓮聖人が身延に到着された翌日の1274年5月18日、ちょうどこの辺りで上った朝日に向かって高らかにお題目を唱えられたと言われています。その後、この場所にお寺が建てられましたが、数年前までは30年ほど無住の状態が続き荒廃する一途でした。
しかし、近年は町内のお寺のご住職が手入れをして下さるようになり、時折御開帳も行われています。
お堂こそ古びていますが、境内の向かって左手にある瘡守稲荷(かさもりいなり)はでき物、腫れ物に霊験があらたかといわれていますし、何より境内にある桜の樹は久遠寺境内の兄弟桜といわれる大変立派な枝垂れ桜で、シーズンにはカメラを抱えた人で賑わいます。
さらに道なりに進むと民家が現われるあたりの急カーブの右手に案内板があるのが見えてきます。そこには海に出たいと願った大蛇の悲しい伝説が残されています。
■蛇石
大蛇は地区のお寺の住職の夢枕に立ち、道を邪魔する木をどかしてくれと願ったものの、大蛇に出てこられてはたまらないという集落の人々によって道を封じられ、崩落してきた大石に潰されて死んでしまいました。
今も大きな岩が沢を塞ぐかのように立ちはだかっています。大蛇の供養のために石塔などが設けられ、春には枝垂れ桜が蛇の霊を慰めるかのように花を咲かせます。
そしてここから久遠寺方面へ向かうと、身延山塔頭の延寿坊さん、蓮盛坊さん、以前ご紹介した逕泉坊さんなどがあります。
まだ通られた事がない方には一度通ってみていただきたい道でもありますが、非常にカーブが多く、道幅も狭い山道ですので、走行には十分な注意が必要です。
特に桜の時期などは不慣れな方が事故を起こしやすいため、カーブミラーを見ながらくれぐれも安全運転でご利用下さい(混雑期には臨時駐車場が開設されますが、門前町への通り抜けは出来ません)。