身延山の塔頭逕泉坊は、魔に打ち勝つ力が欲しい時にお参りしたい
皆さまこんにちは。身延在住のゆる身延です。今回は身延山の東部地区「東谷」の最端にあたります逕泉坊(きょうせんぼう)さんのご紹介です。
身延町一番地。これが逕泉坊さんに与えられた番地です。戦国時代、当時甲斐の国を治めていた武田信玄が身延山を攻めた際、現在の逕泉坊さんの地で身延山の鬼門除け(法敵退散)の祈祷をしたところ、神仏のご加護により武田信玄による身延攻めを免れたといういわれがあります(諸説あり)。
その後、逕泉坊内に清正公堂が建立され、「法華経の行者」といわれる加藤清正(豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人)の像が安置されてから、逕泉坊さんは「鬼門除け祈祷道場」となりました。そしてこの場所が身延山の危機を救い鬼門を除けた場所であることから、後世、身延町に番地を付けるにあたり身延町の始まりを意味する「身延町一番地」となっています。
逕泉坊は、運気を強くしたい方には見逃せないお寺
逕泉坊さんに祀られている神様を見ると、個人的には「もしや山内塔頭寺院で最強では…?」と思ってしまう顔ぶれで、清正公、最上稲荷、第六天魔王、不動明王、毘沙門天、愛染明王と並びます。
■第六天魔王
清正公は「先勝、必勝」の御利益が有名ですし、最上稲荷は「商売繁盛、五穀豊穣」、第六天魔王は「魔を斬る」、不動明王は「邪気を払う」、毘沙門天は「武芸向上、勝負運、財運福徳」、愛染明王は「恋愛成就、夫婦円満」。
魔を斬って、邪気を払い、必勝、財運福徳、商売繁盛、五穀豊穣、恋愛成就、夫婦円満。すごいです。
さらに、清正公像の中にはもう一体の小さな清正公像が安置されていることから「腹ごもりの清正公」として、安産にも御利益があるとされています。
とはいえ、もともと正式に勧請されているのは清正公と第六天魔王で、最上稲荷のご神体は現在東谷志摩坊さんに移されているので最上稲荷は形だけお祀りしており、来歴が不明な毘沙門天を抜かして、不動明王、愛染明王も、勧請されたというよりは、お祀りされている、といった方が正しいようです。
それにしても、運気を強くしたい方には見逃せないお寺です!
清正公堂の中に納められている清正公像も、かつては御開帳の決まった日にしか扉をあけていなかったそうですが、ある時、逕泉坊さんの当時のご住職が清正公の夢を見て「常に多くの人々に開かれた状態にせよ」とのお告げを清正公より賜り、それからは扉を開いた形で釘を打って、いつでもお参りしていただけるようにしています。
清正公が自ら多くの人を救いたいと言っているようで、余計に御利益がありそうに感じてしまいます。私も実際にお像を拝見させていただきましたが、思っていたよりも大きく、とても迫力がありました。
逕泉坊では彫刻やお守りも注目!
清正公堂はお堂の彫刻のすばらしさでも有名です。明治6年に再建された際に、三島大社の彫刻などで知られる小沢半兵衛父子が手掛け、町指定の文化財に登録されています。
小沢半兵衛父子は木の特徴をよく読み取って彫刻をする名手で、龍の目が木の節にあたるように彫られているのも見所のひとつです。
また彫刻の有名なお堂は保護の為に金網やケースなどに覆われていることもありますが、逕泉坊さんはそのままに見ることが出来ます。
そして、逕泉坊さんでもう一つ忘れてはならないのがお守りです。
身代わり不動尊の厄除けと清正公の御勝守がセットになった「お勝守」や、こちらも一対セットの「鬼門除け御札」、「清正公魔除け札」などなど。運気を強くしたい方にはお勧めです! お参りされた方は是非お受けしてみては如何でしょうか。
逕泉坊さんは久遠寺からは車で2~3分ほどの場所ですが、歩いて行くと下り上りともにかなり勾配がありますので、久遠寺境内でタクシーを呼んで(甘露門側バス停あたりにタクシーの呼び出し番号が書いてあります)、タクシーで行くのがお勧めです。久遠寺本堂脇のバス停からだとかなり遠回りになりますので、甘露門側から乗りましょう。
逕泉坊さんの境内地は広くはないので、タクシーに待っていてもらってお参りすると良いですが、とても気さくな奥様とお話しながら色々とご説明いただくのも楽しいかと思います。