無双の学僧・日源上人縁の身延山大林坊で学業成就を祈る
身延山の東谷を道なりに上がった右手に「大林精舎」という立派な額がかかった山門があります。大林坊は日蓮聖人の直弟子のひとり、日源上人が開創されたといわれる歴史のある坊です。
日蓮聖人から「誠に菩提を求める心を持った聖人であり、無双の学僧だ」と褒め称えられた日源上人は、師匠から学んだ教えを説いて75ヶ寺もの寺院を日蓮宗に改宗させるなどの活躍を果たしています。
山門の扁額も久遠寺の総門と同じ、身延山36世日潮上人の筆によるものです。「精舎」とはお釈迦様が弟子たちとともに過ごされた建物に付けられた呼び名です。このため「大林精舎」という言葉から、日源上人が日蓮聖人亡き後もこの地で講義を続けられていたとも推察されています。
つまり大林坊さんは優れた学僧が作ったお寺であり、身延山で修行に励むお坊さん達の勉学の拠り所でもあったわけです。
傷んでしまった大林坊だが、修復されつつある
大林坊さんはかつて、宿坊としても営業されていましたが、ここ数年は定住される方がおらずに宿坊としては閉鎖されています。ただ、近年、他県に住まわれていたご住職さまが頻繁に出入りして下さるようになり、傷んでしまった建物や境内地の手入れがなされています。少しずつ復旧していく様子は、最近私がとても嬉しく楽しみに感じていることのひとつです。
先日縁あって、内部をご案内いただく機会がありました。確かに建物は傷んでいましたが、立派な梁、広間にはいくつもの囲炉裏、レトロなタイルの洗面台と、魅力的なポイントがたくさんあります。今は宿坊をされていないのが、とても勿体ないようでした。
宿坊をされていた頃のパンフレットを拝見すると、境内でとれるたけのこ料理やほうとうを、囲炉裏で調理しながら提供されていたようです。身延においてもインバウンドの重要性が語られている今、改めて宿坊が開かれたらひとつの名物になり得るだろうなあ、と、思ってしまいました。
なにより本堂に祀られている立派な御像は宝永3年の像立時と比べると設えが変わっているとはいえ、身延山の塔頭寺院の中でも大きなもので、当時としても大事業であったであろう大林坊さんの歴史を感じさせるものです。私も拝見して感動し、もっと多くの方にお参りいただきたいと素直に感じました。
また大林坊さんは江戸講中の方々の宿泊所として信仰を集めていた繋がりからか、「劇聖」と称えられた九代目市川團十郎の建てた供養塔もあります。
どのような縁があったのかは記録が残されておらず、一見してどれが市川團十郎縁の供養塔なのかは、残念ながらわかりません。ただ、歌舞伎界においても高名な方ですので、歌舞伎ファンの方もお参りされてみてはいかがでしょうか。
なお、大林坊さんの境内はどなたでも自由に参拝することが可能です。
大林坊の向かいにある願満稲荷にも注目
大林坊さんの向かいには、身延山内の洗足という場所にある願満稲荷さんの分社があります。
昔、戦に敗れた源氏の武将・龍王淡路守が身延山の奥に身を隠して住んでいたところ、日蓮聖人が訪ねて説法をし、龍王淡路守が持っていた観世音菩薩を願満大菩薩と命名して祀られた、というのが願満稲荷本社の言い伝えです。
この願満稲荷を日源上人が大林坊開山の折にお迎えし、現在の場所に分社が出来ました。たおやかな女性の神様のお像はとても美しく、御利益も「深信精進に我を祈る者は必ず所願満足せしめん」と、願満稲荷さま自らが仰有られたと伝わっています。
「願いが満つる」と名付けられたお稲荷さん。大林坊さんと合わせて祈れば、きっと、ご利益が確かなものになるでしょう。