お稲荷様伝説が残る身延山の石割稲荷で、自分を見つめる小トリップ
皆さまこんにちは。身延在住のゆる身延です。本日は身延山の隠れたパワースポット「石割稲荷」のご紹介です。
身延山の総門を入るとすぐある橋を渡った先の右手に、鳥居と赤い奉納旗が続いているのが目に入ります。
この鳥居に足を踏み入れた方は、ほとんどいないのではと思います。石割稲荷さんは、そのよう方にも是非お参りしていただきたい場所です。
鳥居をくぐるとお稲荷さまの眷属である、お狐さんがお出迎してくれます。すぐに見えてくる建物は石割稲荷さんを祀る積善坊(しゃくぜんぼう)さんで、その脇に「石割稲荷まで150M」と看板があります。
■石割稲荷の案内看板
整備はされているものの、都会の方は怯んでしまうかもしれない山道です。が、雰囲気を楽しみながら上ってみて下さい。つづら折れの山道を登ると大きな岩が中央で二つに割られたその先に、石割稲荷さんのお堂が見えてきます。
石割稲荷の言い伝え
この石割稲荷さんには、次のような言い伝えがあります。
昔、日蓮聖人が身延に御入山の折、山の中腹の大岩が突然割れ、白髪の老人が姿を現わしました。日蓮聖人が「そなたは何処より来たる者か」と尋ねると、老人は「私は古くからこの山に住んでいる稲荷大明神の申し子です。しかし今は誰ひとり私のことを知らず、祀る者もおらず、深い岩戸の中に閉ざされている哀れな者です」と言いました。
そして「憐れみ深き日蓮聖人が身延に入られると聞き、岩を破って出て参りました。どうか世のために一日も長く、一人でも多く法華経を弘めていただけますよう」と、日蓮聖人へ伝えたといいます。
この光景を見た村人たちは不思議な出来事に心を打たれ、社殿を造営して老人を稲荷神として祀ったと云われています。
お堂の前にそびえる二つに割れた大岩はこの時の岩だと言われており、苔むし、草木が生えた巨石は長い長い年月を感じさせます。言い伝えによれば、岩が割れたのは今から750年ほど前ですが、この岩はもっともっと昔から、この地に座していたのです。岩越しに見るとますます境内には神々しい空気が漂っているように見えます。
■石割稲荷の割れた岩(参道)
明治時代に火災に遭っており、近年も猿に扉が壊されるなどの被害が多発していたことから、お堂は修繕されて比較的現代的な外観となっています。お参りに行った日、私はご縁に恵まれ、ご厚意で御開帳していただくことができました(積善坊さんでお願いをすれば一般の方も御開帳していただけるそうです)。
■石割稲荷の本堂
御厨子の中の神像は女性のお姿をしており、お稲荷様らしく狐に乗っています。両脇にもお狐さま。五穀豊穣の他、火難除けの御利益もあります(一度被害に遭ったものを二度と起こさないという意味で、転じてそのものの守護神になるということが古来からあります)。御神像は恐れ多くてあまり直視できなかったのですが、眷属のお狐さまたちのなんとも雰囲気のあること。ふっくらとした品のあるお姿には、癒やされました。
境内地は少し開けて昔は遠くが見渡せたそうですが、今は杉の木が繁っています。それでも吹き抜ける風の気持ち良さは神域の雰囲気と相まって、「ここまでお参りに来てよかった」と思わせてくれるには十分です。
石割稲荷をお祀りしている積善坊
また、参道の階段沿いにあり、石割稲荷さんを祀っている積善坊さんは祈祷でも有名なお寺です。
■積善坊
日蓮宗のご祈祷は、お経を書き込んだ木の板(木剣)に数珠の珠をあてて打ち鳴らす形が特徴となっています。この木剣(ぼっけん)の元となったのが、積善坊さんの10世である日閑上人が七面山で得た不思議な枝「楊枝木剣(ようじぼっけん)」でした。
積善坊さんには、開基である日伝上人(身延山第13世)から身延山の法主に代々伝えられてきた延山流祈祷が相伝されるようになります。特に積善坊10代日閑上人、12代日順上人は祈祷の力が絶大で、積善坊流祈祷といわれるようになったそうです。
積善坊さんはその歴史の中で、何度か移転しています。身延山内の蓮華谷には積善坊流祈祷師日応上人が修行した蓮華滝(花之坊さん、蓮華寺さんあたりにありますが、現在は滝というほどの水量はないようです)が、蓮盛坊さんには前述の日順上人が修行した「満行院の井戸」が残されています。
一般の方のみならず、日蓮宗の祈祷をされるお坊さんには積善坊さんをはじめ、山内の祈祷の史跡を訪ねてみていただきたいと思います。もちろん予めお願いをしておけば、一般の方でもご祈祷を受けることも可能です。
石割稲荷さんへのお参りは、短時間でありながらも山中に一歩ずつ足を進めることで自分に向き合うことが出来る、現代人に合った小トリップの場としても最適です。ご興味のある方は是非お参りいただきたい、隠れた古刹です。