身延山一の聖域。御廟所で人生の転機に心静かに自らを省みる
皆さまこんにちは。身延在住のゆる身延です。今日は日蓮聖人のお墓のある御廟所についてご紹介します。
御廟所は、私の大好きな場所です。そして、身延山の中でも聖域中の聖域であり、日蓮宗のお坊さん方にとっても特別な場所です。
御廟所は、久遠寺の三門を左手に道なりに進んで行くとある、日蓮聖人のお墓のある場所であり、実際に住まわれていた御草庵の跡です。
一年を通して、春には参道の桜、夏には萌ゆる緑、秋には紅葉、冬には寒さに凍る水の美しさと、様々な表情を見せてくれます。
きれいに整えられたせせらぎ沿いの長い参道を歩くと、静かな聖域に足を踏み入れる心地よい緊張感とともに、深呼吸するように自然と気持ちが整えられていきます。
■御廟所の参道
美しい常唱殿を眺めながら霊山橋を渡り、日蓮聖人も生活に使われていた身延川の水を引いた手水舎で身を清めてから、御廟所の緑に飲まれるように階段を上ると、小さな滝や木々の間から見下ろす川の美しさに日々のストレスが解けていくのを感じます。
■常唱殿
段差のきつい階段を幾段か上ると、目の前には御廟所の拝殿、日蓮聖人のお墓、左手には御草庵跡が現れます。
■拝殿
参道から自然を感じながらゆっくりと歩みを進めて御廟所の前に立つ頃には不思議と清々しい気持ちになり、邪は取り払われ、心から手を合わせることが出来ます。
■御草庵跡
単純に御廟所へお参りするだけなら、参道を歩かずに車で常唱殿近くまで来られる近道もあるのですが、私は、余程時間がない時以外は、気持ちが整えられていくこの過程を味わいたくて、参道の入り口から景色を眺めて歩いて行きます。
日蓮聖人は、世の中を良くしなければならないという強い想いで布教を行ったがゆえに、反感を持った勢力により伊豆や佐渡へ流罪になり、命を狙われる危険や処刑されかける危機にも遭ってこられました。そして、長い旅路の末にたどり着いたのが身延山であり、この地で9年に及ぶ最晩年の時を過ごされています。
身延に来られた当初、日蓮聖人は身延山に長く留まるつもりはなかったといいます。しかし小さな庵で貧しいながらも心静かに法華経を読誦する日々は、熾烈な布教の生涯を過ごしてこられた日蓮聖人の心に何かしらの変化をもたらしたものと思われます。
どこで命が尽きても、私のお墓は身延に建ててほしい。私の魂は未来永劫身延山に棲み続ける。
と、日蓮聖人は御遺言され、ご病気の静養のために湯治に向かう途中、現在でいう東京都大田区にある池上宗仲邸で亡くなられました。そして、御遺言通りに身延にお墓が建てられ、日蓮聖人の魂は永遠に身延に棲むといわれています。
現在の久遠寺は壮大な大本堂をはじめ、誰しもが足を止める大きな三門、五重塔など、様々な建築物が並び、身延山山頂に至るまで多数のお堂が建てられている広大な規模のお寺です。
その久遠寺も、もとは現在の御廟所域に建てられたお堂を日蓮聖人が「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたのが始まりであり、日蓮宗の聖地としての身延山久遠寺は、まさにこの場所から始まったのです。
■日蓮聖人御入山法要の合間のひとこま
身延山久遠寺の始まりの場所、そして日蓮聖人の魂の眠る場所である御廟所には、人生の節目を迎えたお坊さん方、結婚や子供が生まれた報告に来られる檀信徒さんなど、さまざまな想いを胸にされた方がお参りに来られます。
私も、何かあると折に触れ必ず御廟所にお参りします。日々の感謝に始まり、心に迷いがあるとき、導いて欲しいときなど。御廟所にお参りし、日蓮聖人のお墓の前で手を合わせることで、初心に返り雑念が取り払われて、不思議と物事が好転していくことがよくあります。
御廟所は日蓮聖人が住まわれた場所であり、お墓がある場所であると同時に、日蓮聖人を慕う数多くの信者が全国各地から集まり、情熱を持って学んだ場所でもあります。
昨今、雑誌などに取り上げられる際にはよく「パワースポット」などという言われ方もしたりしますが、確かに、これだけの場所に力が集まらないわけはないような気がします。
皆さまにも、人生の転機に、迷いや悩みがあるときに、是非訪れてみていただきたい場所です。御廟所の美しい自然の中、新しい一歩を踏み出すきっかけにもなりますよ。
身延山情報へのリンク
宿坊研究会のイベント情報リンク
1/25(土) だるま寺と地蔵院特別公開コン(京都)
2/2(日) 節分の上野散策コン(東京)
2/11(火・祝) 正慶寺でお坊さんとの婚活コン(東京)